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震災から1ヶ月。
今僕の居る台湾から100億円を超える義援金が日本に送られるという。
その義援金が速やかに日本に送られないので国民から台湾赤十字基金會に24000件というクレームの電話が入っているらしい。
あの日からテレビ、ラジオで震災・原発関連の情報が消えることはないし、むしろ増え続けてている。
最近では更に救済を呼びかけるCMが事態が一向に収束していないことを伝える。


そもそも台湾がこんなに熱心に日本を応援をするのは、日本統治の後に来た中国国民党が酷い仕打ちをしたというのもあるが
明治28年の馬関条約締結から終戦までに日本が台湾に施した施設が健在で今もなお活用され台湾の基盤を担っているからだと思われる。
今総統府として使われている元台湾総督府をはじめ沢山の建物や道路、橋梁、学校、発電施設、
最近になって日本でも名を聞けるようになった八田與一氏の計画した嘉南大圳、桃園大圳は広大な土地を今でも潤し農業を支えている。
その後の日本の高度成長期、バブル時代にも電子機器など沢山の日系会社が工場を置きノウハウを残した事が今の台湾のIT産業の礎となっている。


そうした日本が残した50年、100年先を見越したかつての遺産が今も台湾人の生活の中に色濃く残っていて
今回の震災後もまたかつて台湾に施したように50年、100年先を支える復興が行われると信じているから今回の支援に繋がったのだと思われる。
今いる高山地に残されている遺産を見る度にきっと前よりもずっと素晴らしいまちになって甦ると僕も信じて止まない。